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歴史〜 HISTORY 〜
(トラックバック数:2403、ID:00023) ( 05月15日 20時04分 更新)



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平清盛感想「鳥羽院の遺言」 [戦国カフェ から]
亡くなった近衛帝を、頼長が呪詛していたと言う噂が立つ。頼長の日記「台記」の久寿3年7月27日に、この記述がある。頼長の家司(家政をつかさどる人)藤原親隆(ふじわらのちかたか)が呪詛の噂を語ったと言う。そして頼長自身も、既に家司・藤原成隆(ふじわらのなりたか)から同内容の噂を耳にしていた。朝廷内で流布していた噂であったようだ。近衛帝崩御後、巫女の口寄せで聞くには、「自分が眼病を患って死んだのは、先年誰かが自分を呪詛して愛宕山天公像の目に釘を打ったからだ。」と言う。鳥羽法皇が使者を遣わし調べさせたところ、その  続きを読む
Date: 2012-05-15 20:04 ID: 20890380

歴史で見る、東海地震と浜岡原発 [戦国カフェ から]
静岡県で浜岡原発稼動の是非を問う、県民投票署名が始まった。今日は、歴史的経緯を含めて東海地震や浜岡原発を考えてみたい。活断層の上に乗っかった浜岡原発に過酷事故が起きれば、晩発性障害も含め200万人近い人が死に、日本の半分が住めなくなるかもしれない。もはや安全優先か?経済優先か?などと悠長な議論の余地はない。この地域を揺るがす地震と言えば、なんと言っても東海地震である。1498年の明応地震について考えたい。これはいわゆる東海地震、東南海地震で、震源地は御前崎市沖である。まさに浜岡原発の地元。1498年8月8  続きを読む
Date: 2012-05-14 19:24 ID: 20888255

平清盛感想「誕生、後白河帝」 [戦国カフェ から]
近衛帝の死去し、鳥羽法皇を囲んで次の帝は誰が良いか話し合う。「いじめて来た崇徳上皇と仲直りし、共にまつりごとをしたい」と言う鳥羽法皇。「それでは鳥羽法皇による、まつりごとが出来ない」と、信西がさも鳥羽を思いやっているかのような進言をする。信西は後白河の乳夫(めのと)のため、後白河を天皇にしたい。信西が権力を握るために、後白河を”駒”と考えているのである。美福門院と藤原忠通(頼長兄)は、後白河の子で美福門院の養子になっていた守仁(もりひと)親王を推す。鳥羽法皇は、藤原忠実や頼長を信頼していたが、苛烈な頼  続きを読む
Date: 2012-05-08 19:37 ID: 20875391

古代越前の文字 [不純文學交遊録  から]
福井市立郷土歴史博物館の春季特別展「古代越前の文字」を観覧しました。 古墳に副葬された銘文入りの銅鏡、遺跡から出土した墨書土器、東大寺領の荘園を描いた絵図など、古代越前に関わる文字資料(一部、若狭、加賀もあり)を展示しています。 平成24年春季特別展 古…  続きを読む
Date: 2012-05-06 22:43 ID: 20871370

『ハプスブルク君主国 1765-1918』 [同人作家の時事・歴史放談Blog から]
ハプスブルク君主国 1765-1918?マリア=テレジアから第一次世界大戦までクチコミを見る GW前から少しずつ読んではいましたが、やっと読み終えました。 500ページを超える本で、しかも二 ...  続きを読む
Date: 2012-05-05 01:05 ID: 20867555

忍城とさきたま古墳群 [戦国カフェ から]
GW快晴の中、埼玉県の忍城とさきたま古墳群に行って来た。まず上が、天正2年(1574)謙信公が陣取った丸墓山古墳。直径105mの日本一大きい円墳である。階段がなかったら登るのは大変な傾斜だが、謙信公はこの古墳に登り忍城の様子を偵察したと言う。いづなは山歩きが好きだが、以前行った長野県善光寺裏の「謙信公物見の岩」と言う所もかなりの傾斜。謙信公は身軽な人だったに違いない。謙信公は、越後から三国街道を通って現在の埼玉県にある忍城を攻略しに来ている。北武蔵(埼玉県あたり)は、小田原の北条氏と覇権を争う前線地帯であ  続きを読む
Date: 2012-05-03 20:24 ID: 20864980

平清盛感想「平氏の棟梁」 &友切 [戦国カフェ から]
今週から、綺麗な清盛?冒頭家臣たちの前で、「平清盛である。」盛国「皆、存じております・・・。」に笑った。清盛の子弟が弓比べをしていたが、下手だった経盛は、敦盛の父になる人である。壇ノ浦で16〜17歳で亡くなり、織田信長が好んだ幸若舞「敦盛」のモデルである。清盛も未だ棟梁に成り得ていない。ご飯が足りないのはまずいよ〜時子。私は、この時子というキャラが好きである。失敗はいろいろあるが、明るく精神的に強く、先妻の子も分け隔てなく面倒見ている。歌が詠めない清盛、歴史上にも清盛の遺した和歌がほとんどない。1首くらい  続きを読む
Date: 2012-05-02 11:09 ID: 20861837

お屋形さまの太陽暦ご命日 [戦国カフェ から]
上杉謙信公、434回目の太陽暦ご命日です。 米沢の上杉神社では、例大祭が行われていますね。米沢が毎年桜で埋る頃、お屋形さまのご命日がめぐって来る。私も今まで何回も、桜の米沢を訪ねた。街が桜色に染まる中、御廟所への桜の差し掛かる道を行く。この桜の中にお屋形さまが今も眠っていると思うと、なんとも言えない感慨がこみ上げてくる。今日は、謙信公の御家訓をご紹介する。いつの世にも通じる言葉で、434年経った今もさらに価値を深めている。一、心に物なき時は心広く体泰なり   心中にわだかまり、たくらみがない時は心広く体が  続きを読む
Date: 2012-04-29 19:27 ID: 20856310

坂本龍馬 [俳句で覚える歴史年表−Super源さんの年表暗記 から]
1836年(天保6年、土佐郷士に生まれる。日本の近世末期に活動した武士。 脱藩したのち、倒幕および明治維新に影響を与えた幕末の志士。 諱は直陰(なおかげ)のちに直柔(なおなり)、通称は龍馬。他に才谷梅太郎(さいだにうめたろう)などの変名がある。 【暗記用俳句】…  続きを読む
Date: 2012-04-26 19:19 ID: 20849895

平清盛感想「さらば父上」 [戦国カフェ から]
藤原忠通の屋敷に、藤原の氏長者の象徴である朱器台盤を押収しに来る源為義。息子義朝に、責められながらも一族郎党を食わせるためにやっているんだ!と言う。分かり合いたいと願いながら確執を積み重ねていく為義・義朝親子は、保元の乱で敵味方に分かれてしまう。保元の乱の要因のひとつとなった忠通・頼長兄弟の争いだが、この朱器台盤押収事件が大きく後押しさせたことになる。父忠実と長男忠通は不仲で、父は次男頼長を溺愛して育てた。父忠実は、長男忠通に摂政の地位を頼長に譲るよう10回も言ったが、忠実は不服として拒否。それで父は、  続きを読む
Date: 2012-04-24 19:27 ID: 20845388

平清盛感想「嵐の中の一門」 [戦国カフェ から]
家盛を失い、一族の悲しみは深かったが清盛が平氏の棟梁の地位を確定させたのは確かだろう。自然に後継者争いを収めた平氏とは違い、摂関家の兄弟争いは混迷を深めていく。弟頼長の養女・多子(まさるこ)が、近衛帝(美福門院の子)に入内する。彼女は、頼長の妻幸子の姪である。続いて、兄忠通の養女呈子(ていし)が同じく近衛帝に入内。これは、予想以上に宮中に波紋を呼び、養女の入内争いから、まつりごとを掌握するための権力争いに発展していく。背景には、頼長と美福門院との対立関係がある。身分の高くない出の得子が成り上がり政権中枢に  続きを読む
Date: 2012-04-17 20:16 ID: 20829981

謙信公が越えた雪の三国峠 [戦国カフェ から]
上杉謙信公が13回通ったと言われる三国街道界隈を、今回訪ねることにした。昔は到底困難だと言われた”雪の三国峠”を、謙信公は越えたと言われている。それをほんのわずかながら歩いてみたい、と言うことで雪山ハイキングをして来た。東京は桜が終わったが、越後湯沢から近い三国街道あたりは積雪量1m。桜は5月中旬だそうだ。同行したのは、上級登山者の友人K子ちゃん。ちなみに上杉軍ではない。東京で計画は立てていたが、地元で危険の少ない経路を教えていただき、綿密に確認。幸い、熊はまだ寝ている。スノーシューを装着し、兵糧、サーモ  続きを読む
Date: 2012-04-16 19:08 ID: 20827657

平清盛感想「家盛決起」 [戦国カフェ から]
悪だくみ、ワルモノな頼長が面白い。 悪役が充実していると話が盛り上がるので、頼長の存在は興味深い。 泥臭い舞だと言いつつも、家盛が清盛の弟で正室の子だと聞くや屋敷に呼び寄せ酒で性癖で懐柔する。頼長の残した、漢文体の日記「台記」が面白い。ある日は、西行法師が寄進を求め頼長邸に来たことを書く。西行が家富み、年若く、心に憂いがなかったのに世を捨てたと記している。僧侶の寄進活動などさして珍しくもなかったが、西行がより印象的な人物であったからだろう。高貴な身分ではない西行の正確な生年が判明したのも、頼長の日記  続きを読む
Date: 2012-04-10 19:35 ID: 20815225

平清盛感想「祇園闘乱事件」 [戦国カフェ から]
祇園闘乱事件、比叡山による平清盛・忠盛父子の流罪要求の”ひきがね”になった事件である。その発端はこうだ。久安三年(1147)6月15日は京都祇園神社の御霊会の翌日で、朝廷や公家、その他多くの人が様々な祈りを捧げる日だった。清盛も田楽を奉納し、何らかの祈願をしたと思われる。清盛の郎党と、神社の郎党との間で小競り合いがおき、清盛の郎党の放った矢が僧や神人(じにん下級神職)、宝殿に当たった。その時は騒ぎが収まる。後鳥羽法皇と崇徳上皇が比叡山参拝するなどして、事件は立ち消えになるかに見えた。しかし御所に戻った法  続きを読む
Date: 2012-04-02 09:31 ID: 20796659

平清盛感想「宿命の再会」 [戦国カフェ から]
待賢門院璋子崩御の回だった。后としては珍しく7人もの子を持ち、熊野詣でに十数回も行った女性である。この時代熊野詣は命がけ、身体は相当丈夫だったはずだが、伝染病では致し方なかったか。鳥羽院が未練たらたらで璋子に泣きつく。登場人物の中で、この鳥羽院が面白い。歴史書「今鏡」にも見えるが、鳥羽院という人物は元来穏やかな性質であった。后・璋子は白河院以外にも、楽師その他と密通を重ね、道徳観念があいまいな女性である。当時は一夫多妻制だが、彼女の場合多夫多妻状態である。笑後ろ盾であった白河院をうしない、頭を押さえつけ  続きを読む
Date: 2012-03-26 21:12 ID: 20782833

上杉鷹山公 [戦国カフェ から]
ヒストリア「上杉鷹山」の感想を書こうとしたが、番組で紹介されなかった史料も書きたくなった。上杉鷹山公、日本近世史上屈指の名君である。 10歳で九州の高鍋藩の次男から名門上杉家の世子(世継ぎ)になり、米沢藩第9代藩主となった。その頃、東北では凶作が続き農民は逃げ出し米沢藩は膨大な借金を抱え、藩を幕府に返上しようかと言うほどだった。 鷹山の強い指導力、深い学識、謙虚で愛情ある人格・思想形成は、藁科松伯(わらしなしょうはく)と細井平洲(ほそいへいしゅう)のふたりの儒学者を除いては語れない。藁科松伯は、藩  続きを読む
Date: 2012-03-23 21:30 ID: 20776310

歴史法則主義 [草莽崛起〜阿蘇地☆曳人のブログ から]
<マルクス>とは、歴史法則主義と実証主義の両面批判である(その3) 歴史法則主義の立場からは、存在と認識はそれぞれ以下のように捉えられています。 存在 : 普遍 ( 社会 ) と個別 ( 個人 ) の直接的一致。個人は社会という全体構造の中の生命の無い部品にすぎず、そのあり方は、社会という全体構造によって完全に拘束されています。 社会は自立的法則に従って運動し、個人の主体としての対応は、この法則の進行...  続きを読む
Date: 2012-03-20 23:15 ID: 20769949

平清盛感想&「東京大空襲583枚の未公開写真」 [戦国カフェ から]
得子が崇徳天皇をだまし、自分の子・躰仁(なりひと)を帝にし、崇徳帝は院政をおやりになればいいでしょ、と言い納得させる。3歳で躰仁は近衛天皇となる。崇徳は皇太弟・躰仁(なりひと)に帝位を譲る形式になっていること、譲位の儀式ではじめて知る。院政が出来るのは、父の鳥羽院であり、崇徳は得子にだまされたと初めて気付く。以上ドラマだが似たような話が、一級史料の「愚管抄」にある。得子に躰仁(なりひと)が生まれた時、鳥羽上皇は自分の第一皇子である崇徳天皇の皇太弟とした。崇徳天皇は、新しく生まれた皇子を養子として立太子す  続きを読む
Date: 2012-03-19 20:50 ID: 20767636

<マルクス>とは、歴史法則主義と実証主義の両面批判である(その1) [草莽崛起〜阿蘇地☆曳人のブログ から]
ポパーによる反証主義の提起は、いわゆる「歴史法則主義」への批判であると同時に、実証主義の内部批判として、論理実証主義の確証主義に対しても、その矛先が向けられていました。 仮説を観察命題によって確証しようとすると、豊富で多様な現象の世界の中からいくらでも、仮説を支持するようにみえる観察命題を見つけ出すことができてしまうので、相反する二つの命題がどちらも「確証」されてしまうという事態さえ起きます。 ポパーこの点を危惧し、逆に仮説を立てるたびにそれを否定するような観察命題(反証)を...  続きを読む
Date: 2012-03-17 15:25 ID: 20762993

謙信公のご命日 [戦国カフェ から]
今日は、わがお屋形さまの434回目の御命日。天正6年3月13日とお墓には刻まれている。新暦に換算すると4月になるので、桜の花びらの散る頃かもしれない。昨日、西行のことに触れたが、謙信公と西行には共通項がある。西行の方が400年余り前に生まれたが、ふたりとも出家し雅で美しいものが好き、文武両道、桜の咲く頃亡くなった。かなり違うところももちろんある。妻子を持ち数々女性たちと親密な関係を持った佐藤義清(西行)は、歌には妻子に限らず他の肉親をも題材にしない。謙信公は、妻子はなかったが戦国時代では珍しく家族に恵ま  続きを読む
Date: 2012-03-13 21:07 ID: 20755048

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