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坂本龍馬
(トラックバック数:196、ID:01737) ( 12月04日 08時41分 更新)



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弟・岩崎弥之助の三菱 [戦国カフェ から]
兄・岩崎弥太郎の死後8ヶ月で、弟・岩崎弥之助社長は、三菱を手放す羽目になる。弥太郎没してなお、三菱は、共同運輸との熾烈なビジネス戦争を続けている。この日本国内の2社が競り合うことにより、海外の海運会社が日本に勢力伸ばして来るのは目に見えている。(以前もそうだった。)共同運輸、三菱、共倒れの危機が予測された。 政府は今まで三菱を潰すため、共同運輸に巨額の投資をしている。海外企業が日本を席巻すれば、その金も努力も水の泡。 政府は、宿敵三菱と共同運輸の合併を目論むのである。新しい会社名は、日本郵船会社、出資比率  続きを読む
Date: 2010-12-04 08:41 ID: 19469739

岩崎弥太郎の最期 [戦国カフェ から]
岩崎弥太郎、波乱に満ちた生涯だったが、その最期の時も壮絶だった。 死因は、胃がんである。明治14年(1881)大酒と美食、ストレスゆえか、胃の不調を訴え始める。そのころ、三菱は日本の海運業を独占していたが、薩長藩閥の設立したライバル会社共同運輸と、社運をかけた熾烈な争いの真っ只中であった。 弥太郎の病を進行させたかもしれない?ライバル、共同運輸について触れねばならない。 明治11年(1878)、明治政府の最大の実力者・大久保利通が紀尾井坂にて暗殺される。 その後継者に、肥後出身の大隈重信と長州出身の伊藤博  続きを読む
Date: 2010-12-03 10:02 ID: 19466864

坂本龍馬暗殺を検証する 5 [戦国カフェ から]
今回は、龍馬暗殺実行犯、今井信郎に焦点を当てたい。今井は、龍馬襲撃に加わった後、函館五稜郭の戦いで破れ降伏する。捕まった時、龍馬暗殺の真相を新政府側に語った文書があるので、いづなが読み下してみる。供述内容は、『坂本龍馬関係文書』 明治3年2月明治3年2月兵部省での、今井信郎、30歳の時の供述調書である。坂本龍馬殺害の儀は、佐々木唯(只)三郎の指図だった。先日は取り逃がしたので、今度こそは捕まえ、手に余る時は、討ち果たしてしまおうと言うことだった。佐々木唯三郎、渡辺吉太郎、高橋安次郎、桂隼之助、土居仲蔵、桜  続きを読む
Date: 2010-12-02 07:56 ID: 19463199

坂本龍馬暗殺を検証する 4 [戦国カフェ から]
龍馬暗殺の事件現場を克明に証言した、峯吉少年について書きたい。菊屋峯吉(きくやみねきち)、龍馬暗殺の時、17歳。近江屋、土佐藩邸近くの土佐藩御用達書店の息子で、龍馬に可愛がられていた。なお、峯吉(みねきち)実家の書店または近所に、中岡慎太郎も隠れている。龍馬の下僕藤吉は、峯吉の紹介で龍馬と知り合った。その峯吉が、龍馬最期の日の夜、「軍鶏を買うてきておーせ。」と龍馬に頼まれ、買いに行った。軍鶏肉が売り切れで、新たに軍鶏を絞め、大皿に肉を盛ってもらい、帰った時、龍馬はこの世の人ではなかった。その峯吉の、事件の  続きを読む
Date: 2010-12-01 08:48 ID: 19460144

坂本龍馬暗殺を検証する 3 [戦国カフェ から]
今井信郎に続き、ふたりめの龍馬暗殺犯、佐々木只三郎(たださぶろう)について語る。佐々木は旗本だが、実家は会津藩士の家である。実兄は、会津藩公用人・手代木直右衛門(てしろぎなおえもん)。若い上に、病弱の藩主・松平容保を補佐し、実権を握っていた人物である。 会津藩の藩校に、日進館と言うのがある。会津藩家老・田中玄宰(たなかはるなか)が創設した、エリート養成学校である。田中玄宰(たなかはるなか)は、天明の大飢饉で多数の餓死者を出した会津藩を立て直した、名家老である。会津まつりには、ゲストの俳優さんを呼んで、家  続きを読む
Date: 2010-11-30 08:47 ID: 19456585

坂本龍馬暗殺を検証する 2 [戦国カフェ から]
峯吉(みねきち)が、近江屋の2階に上がろうとした時、階段上からは血潮がぽとぽとと滴っていたと言う。峯吉(みねきち・龍馬が可愛がってた書店の息子)2階入り口には、龍馬の下僕で元力士の藤吉が倒れて苦しんでいた。事件直後を見た、峯吉(みねきち)の証言である。今と違い、踏み板面積の狭いひどく急な階段であっただろう。昇るのが急な血液がが容易に滴る様子が想像できる。そして、2階奥の8畳間で龍馬は頭を斬られて絶命していた。犯人は、既に逃走後であった。8畳間の外物干し台を伝わり北隣り井筒屋の屋根の上に、瀕死の中岡慎太郎  続きを読む
Date: 2010-11-29 09:25 ID: 19453321

大河「龍馬伝」最終回 [Go Plain! から]
福山雅治さん他出演者&スタッフの皆さん、お疲れさまでしたー! 「龍馬伝」スタート当初は「早く殺してくれ!」と思っていたらしいけど、途中から「死にたくないっ」と考え方が変 ...  続きを読む
Date: 2010-11-29 02:50 ID: 19452794

龍馬伝、最終回に思う。。。 [バーンアウトでメランコリー 〜おまけに適応障害♪〜(´ε` )〜 から]
 う〜ん正直言って、無難に終わりすぎた感がありますなぁ。。。  私は龍馬暗殺犯は『中岡慎太郎説』支持者です。  途中まではそういう気配があったので、  「お!大河ドラマも勝負に出たな」  とひとり思っていたのですが、あまりにも無難な「今井信...  続きを読む
Date: 2010-11-28 23:23 ID: 19452389

龍馬伝感想 「龍の魂」 [戦国カフェ から]
「○○○自ラ盟主ト為リ」に入るのは誰か?、龍馬は、慶喜を入れようとしていたと言われる。大政奉還後、「新政府綱領八策・しんせいふこうりょうはっさく、第八義」にある言葉である。龍馬が書いたとされ、新政府のガイドラインになるものである。こちらでも触れているので、よろしければご覧ください。福井の松平春嶽に、山内容堂の書簡を渡しに来た龍馬。福井に来たのには、もうひとつ理由がある。松平春嶽の臣下、三岡八郎(後の由利公正・ゆりきみまさ)に会うためである。三岡八郎、ドラマで、松平春嶽、龍馬の前で、ぼりぼりつまみ食いをし  続きを読む
Date: 2010-11-28 23:22 ID: 19452379

坂本龍馬暗殺を検証する 1 [戦国カフェ から]
以前は、幕末最大のミステリーだった坂本龍馬暗殺の謎も、史料研究が進んで、だいぶ真相が解明されてきている。その明らかにされて来た「龍馬暗殺」について、語って行きたい。1) 龍馬暗殺には、大名レベルの意志が動いている。   つまり、政治影響力のある龍馬を消し去らねばならない、政治的暗殺だった。2) 龍馬を暗殺したとされる、京都守護職配下の京都見廻組。   彼らは身分も高く、腕も立つ、エリート集団である。3) 暗殺実行犯の一人、佐々木只三郎(たださぶろう)は旗本だが、元は会津藩士の生まれである。  実兄は、実  続きを読む
Date: 2010-11-27 10:31 ID: 19446390

スタパ「龍馬伝スペシャル」 [Go Plain! から]
本日のスタジオパークは、福山雅治さんをゲストに迎えての「龍馬伝スペシャル」! 視聴者アンケートによるベストシーン・トップ3を発表してくれました! …と、その前に。   続きを読む
Date: 2010-11-24 00:39 ID: 19435807

龍馬さん&北砲撃 [戦国カフェ から]
「龍馬さんの、スタジオパークからこんにちは」に、続いてサッカーも見ていたら、北朝鮮が、韓国の島を砲撃、がテロップで入って来た。 なぜ今、北朝鮮は砲撃か。韓国が、北朝鮮の決めた領海で軍事行動を起こした、軍事的打撃も続ける。との声明を出している。また、援助を要求しているのか、アメリカを6カ国協議に引き出したいためか。(6カ国協議:北朝鮮の核政策を話し合う会合 北鮮・日・米・中・韓・ロが参加)北朝鮮は、何か要求があると、ミサイル発射したり、核実験を行ったり軍事的行動を取る。関心を強く持ってもらうため、脅迫行動  続きを読む
Date: 2010-11-23 21:50 ID: 19435065

大河「龍馬伝」第47回 [Go Plain! から]
今回はムネタカのための回でした…(爆)。   続きを読む
Date: 2010-11-21 22:48 ID: 19428805

龍馬伝感想 「大政奉還」 [戦国カフェ から]
「後藤が戻らなかったら、海援隊を率いて、慶喜を殺して、自分も死ぬ。」大政奉還のため二条城に向かう後藤象二郎に宛てた、龍馬の激励の手紙である。こちらその1、 その2。この手紙には龍馬の脅迫とも取れる、一文がある。「後藤が献策失敗し大政奉還の好機を逃したら、あなたは生きていないだろう。」後藤よ、生きて帰るなくらいの意気込みで龍馬は書いている。龍馬の革命家としての構想、実行力が、ふつふつと感じられる書簡である。龍馬は柔和で優しい人物だが、大事には、卓越した構想と凄まじい迫力をもって接する。永井玄蕃(ながいげん  続きを読む
Date: 2010-11-21 22:02 ID: 19428639

龍馬の命日 [戦国カフェ から]
本日、11月15日は龍馬の命日。1年ほど前、龍馬、中岡、藤吉のお墓に実際葬られていることを示す史料が、見つかった。隣りの霊明神社が創建200年を期に、非公開だったものを公開している。  見つかった古文書は、龍馬ら幕末志士の埋葬などの記録や過去帳の約120点である。命日の慶応三年(1867)11月15日の項には、坂本龍馬、中岡慎太郎、藤吉が神道式葬儀で埋葬との、記載が見える。龍馬の葬儀が、となりの霊明神社で執り行われてことは、毛利家文書にも記載がある。みな「実葬なり」と記され、実際、龍馬らが、埋まって  続きを読む
Date: 2010-11-15 11:12 ID: 19408151

大河「龍馬伝」第46回 [Go Plain! から]
幕末スキーの皆さんとお話していると、全員一致で 「後藤さま」 と言うんですよ  続きを読む
Date: 2010-11-14 23:58 ID: 19407116

龍馬伝感想 「土佐の大勝負」 [戦国カフェ から]
龍馬、土佐藩の参謀ですね。後藤象二郎が、龍馬に近付いた理由は、薩長中心に動く時代の中で、土佐藩の地位が少しでもUPさせるためである。薩摩と薩土盟約を結んだが、方針を度々転換する土佐を、薩摩がいまひとつ信用していない。弥太郎の代わりに土佐商会主任となった佐々木高行が、そう文書に書き残している。薩摩に疑いをかけられたままでは、土佐の立場は危うい。薩摩に信用してもらうためには、いざとなれば武力倒幕も辞さないことと、新たな政権構想を土佐から建するくらいの姿勢が必要であった。徳川家に多大に恩ある土佐藩に対し、盟約  続きを読む
Date: 2010-11-14 22:00 ID: 19406698

龍馬伝感想 「龍馬の休日」 [戦国カフェ から]
龍馬の没後お龍は、西村松兵衛と再婚する。お龍は、龍馬が三吉慎蔵に遺言した通り、夫の没後土佐に行ったが、乙女姉さんとそりが合わず、数ヶ月して、坂本家を出たと言われる。 龍馬の縁者である、薩摩の西郷隆盛や、海援隊の人々を頼って東京に向かい、神奈川で、その後の夫となる西村松兵衛と出会ったらしい。 松兵衛は、行商の呉服商であるとも、造船所に木材を納める商人であるとも、または大道芸人だったとも伝わる人物である。 お龍はツルと名を変え、松兵衛と結婚生活を送るが、生活は貧しく、得た息子も17歳でなくしてしまう。(一説  続きを読む
Date: 2010-11-07 21:53 ID: 19384111

大河「龍馬伝」第44回 [Go Plain! から]
すみません…元も子もないことを言いますが、 結局、お元は何だったんだ…? や、大変申し訳ないのですが、なんだか“どーでもいい回”じゃありませんでした?(汗) つか、来週の「リョーマの休日」の方が、ホントどーでもいいって感じですが(泣笑)。   続きを読む
Date: 2010-11-02 01:13 ID: 19363876

龍馬伝感想 「雨の逃亡者」 [戦国カフェ から]
イカルス号事件の回でしたね。慶応3年(1867)7月6日、何者かに英国軍艦水夫2名が殺された。嫌疑がかけられたのは、海援隊の千屋寅之助(ちやとらのすけ)、渡辺剛八(つなはち)、橋本久太夫(きゅうだゆう)、佐々木栄(さかえ)の4名。英国公使パークスが怒り、土佐に乗り込ん来て、土佐での話し合いで、長崎奉行所で決着しようと言うことになった。龍馬も、長崎に行く。英国の通訳官アーネスト・サトーの記録によると、千屋寅之助(ちやとらのすけ)と佐々木栄の供述が異なり、怪しまれたらしい。嫌疑をかけられた海援隊士は再尋問の  続きを読む
Date: 2010-11-01 08:21 ID: 19360922

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